AIが「あなたもまだ知らないあなた」を知る未来
Written by Kenji Tanaka
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AIとファッション、そして「自分で選ぶ」ということ
ファッションにおいて、「何が好きなのか」を知ることは、意外と簡単ではありません。
好きな色、好きなシルエット、好きな素材、自分に似合うと思う服。はっきりと説明できる人もいれば、実際に服を見たり、着たりしなければ分からない人もいます。そして、ときには自分でも気づいていなかった好みを、何かとの出会いによって初めて発見することがあります。
私は、AIがファッションにもたらす最大の変化は、単に「服を探しやすくなること」ではないと思っています。
もっと大きな変化は、
AIが、私たち自身より先に「私たちが何を好きなのか」を理解するようになることかもしれません。
「探す」から「提案される」へ
これまでのインターネットでは、まず人間が行動する必要がありました。
テーラーを探す。ジャケットを探す。レストランを探す。旅行先を探す。そして検索エンジンに言葉を入力し、表示された情報を比較して、最後は自分で選択する。
つまり、
人間が質問する → 検索する → 情報を見る → 自分で決める
という構造です。
しかしAIによって、この構造はすでに変わり始めています。AIは単に検索結果を並べるのではなく、会話の中から意図を理解し、複数の情報を組み合わせ、ユーザーに合わせた提案をする。
そして、その先には、
人間が質問する前に、AIが提案する。
という世界があるかもしれません。
「あなたは、これが好きなのでは?」
現在でも、AIと会話していると不思議な瞬間があります。
自分では何となく感じていたものの、うまく言葉にできなかった考えを、AIが会話の中から整理して、
「つまり、あなたが求めているのはこういうことではないでしょうか」
と提示する。
そして、
「そう。それだ。」
と思う。
AIがまったく新しい考えを作ったというより、自分の中にすでに存在していたものを見つけ、言葉にしてくれたような感覚です。
これは、すでに私たちがAIとの対話の中で経験し始めていることでもあります。
もしAIがこうした理解を、もっと長い時間軸で、もっと正確にできるようになったらどうなるでしょう。
私たちが購入した服、実際によく着る服、買ったけれどほとんど着なかった服、保存した写真、長く眺めた画像、繰り返し選んだ色、よく行く場所。そして、仕事、旅行、生活環境、ライフスタイル。
AIは、こうした一見ばらばらに見える情報をつなぎ合わせることができます。すると、私たち自身なら別々のものとして見過ごしてしまう選択の中に、一つのパターンを見つけるかもしれません。
本人は「クラシックな服が好き」だと思っている。でも、実際に選んできたものを見ると、クラシックそのものよりも、そこに少し現代的な要素が加わったものを繰り返し選んでいる。
シンプルな服が好きだと思っている。でも、なぜか毎回どこかに普通とは違うディテールが入っている。
本人にとっては、それぞれが別々の「なんとなく好き」だったものが、AIには一つの傾向として見えている。
そしてAIは、
「あなたはこういうものが好きだと思っているかもしれません。でも、これまでの選択を見ると、実際にはこちらの方向により強く反応しているようです。」
と言うかもしれません。
これは、単なる商品推薦ではありません。自己理解の補助です。
自分の中にはすでに存在していたけれど、自分ではまだ認識していなかったものを、AIが先に見つける。
そういうことが、すでに始まっているのだと思います。
さらに先には何があるのか
今は、
「ジャケットが欲しい」
と言えば、AIが候補を探してくれます。
しかし将来は、
「あなたはジャケットを必要としているわけではありません。現在のワードローブと来月の予定を考えると、今のあなたに最も役立つのは、こういう一着です。」
と提案するかもしれません。
そして、さらにその先には、
「あなたはまだ気づいていないかもしれません。最近の選択や、あなたの生活に起きている変化を見ると、あなたの好みそのものが少しずつ変わり始めています。次にあなたが選ぶ可能性が高いのは、これまで選んできたものとは少し違う、こちらの方向です。」
という提案もあり得ます。
AIは、私たちが何を欲しいと思っているのかだけではなく、私たち自身がまだ気づいていない「欲求の変化」まで先に予測するようになるかもしれません。
そしてさらに進めば、AI自身がデザインを生成し、身体に合わせて調整し、素材を選び、どのように仕立てるべきかまで決める。
そうなれば、AIはもはや検索エンジンでも、オンラインショッピングのアシスタントでもありません。パーソナルバイヤー、スタイリスト、デザイナー、そしてクリエイティブディレクターを一つにしたような存在になる可能性があります。
そこで、少し気になることがあります
これは非常に便利な未来です。
しかし、私は一つのことが気になります。
人間は、自分で「何が好きなのか」を考えなくなってしまわないだろうか。
何を食べたいのか。どこへ行きたいのか。何を着たいのか。どんな音楽を聴きたいのか。
AIに聞けば、すぐに答えが出てくる。しかも、その答えはかなり正確かもしれません。
「あなたにはこれが合います。」
「あなたはこれを気に入るでしょう。」
「これがあなたにとって最適です。」
そう言われ続ければ、自分で考える必要がなくなっていくかもしれません。
でも、「選ぶこと」には意味がある
服を選ぶという行為は、単に最適な商品を探すことではありません。
ときには、
「これは自分には派手すぎるかもしれない。でも、なぜか気になる。試してみよう。」
というところから、新しい好みが生まれます。
最初は好きではなかったものを、何度か見ているうちに好きになることもあります。誰かに勧められて初めて、自分の好みに気づくこともあります。
つまり、
私たちは、自分の好みを最初から完全に知っているわけではありません。
選ぶことによって、自分の好みを発見していく。そして、その過程そのものが、自分自身を形作っているのだと思います。
AIが「自分より自分を知る」ということ
もしAIが、私たち自身よりも私たちの選択を正確に理解するようになったら、少し不思議なことが起こるかもしれません。
私たちは、自分のことを一番よく知っていると思っています。でも実際には、自分の行動をすべて覚えているわけではありません。
AIは、私たちが過去に何を選んだのかを覚えている。そして、私たちなら別々に見てしまう小さな選択を、長い時間をかけてつなぎ合わせる。
すると、私たちが「好き」と言ったものではなく、実際に何度も選んできたものの中に、自分でも知らなかった一貫性を見つけるかもしれません。
そこには、少し興味深い逆転があります。
私たちはAIに自分の好みを教えているつもりなのに、ある日、AIの方から、
「あなたは、自分のことをこう思っているかもしれません。でも、あなたが実際に選んできたものを見ると、少し違うようです。」
と教えられる。
もしそんなAIが現れたら、「AIは人間の創造性を理解できるのか」という問いよりも、別の問いの方が面白くなるかもしれません。
「自分について、自分より詳しい存在がいるとしたら、私たちはそれをどう受け止めるのだろう。」
ファッションは、その問題を特に強く感じさせる
ファッションでは、「最適」と「好き」が必ずしも一致しません。
たとえば、**「縦ストライプは背を高く見せる」**という、よく知られたファッションのルールがあります。AIが、
「あなたにはこれが最適です」
と完璧な答えを出したとしても、
「いや、私はこっちが好きだ」
と言うことができる。
合理的ではない色。AIが勧めなかったシルエット。誰にとっても「最適」ではないけれど、自分にはなぜか魅力的な服。
そして、
「なぜ好きなのか。確かに好きだと感じているのに、それをAIにも完全には説明できない。」
という選択。
そうしたものが、むしろ人間らしいものとして残る可能性があります。
「自分で選ぶ」ことが贅沢になる未来
AIがほとんどすべての選択を最適化してくれる世界では、もしかすると、自分で選ぶことそのものが贅沢になるのかもしれません。
「なぜこれを選んだのか」と聞かれても、合理的な理由を説明できない。ただ、なぜかこれが好きだった。AIがもっとも勧めるものではなく、自分が選びたいものを選ぶ。
そうした選択は、AIが賢くなればなるほど、むしろ意味を持つのかもしれません。
それでも、AIは人間の代わりになるのか
私は、まだ分からないと思っています。
AIが私たちより先に欲求を発見し、私たちが頼む前に提案し、最終的にはデザインそのものまで作るようになる未来。
だから問題は、
「AIが人間よりクリエイティブになれるか」
ではないのかもしれません。
もっと重要なのは、
「AIがこれほど正確に私たちを理解するようになったとき、私たちは自分自身について考え続けるのか」
ということです。
ファッションは、単に「何を着るか」という問題ではありません。
自分が何を好きなのかを知ること。ときには、自分でも知らなかった好みを発見すること。そして、その選択によって、自分自身を少しずつ形作っていくこと。
AIが進化すればするほど、そのプロセスの意味は変わっていくのかもしれません。
あるいは、逆に、
それこそが人間にしかできない、最も価値のある行為になるのかもしれません。
AIが、私たち自身もまだ知らない私たちを知る未来は、そう遠くないのかもしれません。
そのとき私たちに残される問いは、
「AIは私のことをどれだけ理解しているか」ではなく、
「私は、自分自身のことをどれだけ理解していたいのか」
なのだと思います。