ジャケットの前裾は、実は水平ではない

ジャケットの前裾は、実は水平ではない

Written by Kenji Tanaka

― Front Balance・Side Balance・姿勢が作る見え方 ―

ジャケットをテーブルに平らに置くと、「前裾が少し上がっている」「左右で高さが違う」と感じることがあります。「裁断や縫製のミスでは?」と思われるかもしれませんが、多くの場合、それは意図された設計です。

ジャケットは、テーブルの上で美しく見せるためではなく、人が着たときに美しく見えるよう設計されています。そのため、平置きでは完全な水平にならないことも珍しくありません。

人体は平面ではない

人体には胸の厚みや背中の丸みがあり、さらに猫背、反身、前肩、肩の高さの違いなど、一人ひとり姿勢や体型が異なります。

もし裾を「平面上で完全な水平」に設計すると、実際に着用したときには前が上がったり、左右の高さがずれたりして見えることがあります。つまり、型紙上の水平と、着用時の水平は必ずしも一致しません。

Front Balanceとは

テーラーが重要視する要素の一つが Front Balance(前後バランス) です。これは前身頃と後身頃の長さの配分を指します。

例えば反身の方は胸の厚みによって前身頃の長さが多く消費されます。そのため前身頃を適切に長くしなければ、着用時に前裾が持ち上がり、ジャケット全体が前上がりに見えてしまいます。

反対に、猫背の方では背中側により多くの長さが必要になります。Front Balanceとは、単なる着丈ではなく、人体の立体的な厚みに合わせて前後の長さを配分する考え方なのです。

Side Balanceとは

もう一つ重要なのが Side Balance(側面・左右のバランス) です。

肩の高さの違い、前肩、骨盤の傾き、左右の肩下がりなどがあると、着用時には裾が左右で異なる高さに見えることがあります。こうした体型では、見た目に自然な水平感を得るため、左右でわずかに補正を加えることもあります。

つまり、優れたジャケットの型紙は、必ずしも完全な左右対称とは限りません。

平置きで美しい服と、着て美しい服は違う

洋服は人体という立体の上で完成するものです。そのため、テーブルの上では不自然な形に見えても、着用すると自然なラインになることは珍しくありません。

これは袖のねじれや肩線の角度などにも共通する考え方であり、ジャケットは「平置き」のためではなく、「着る人」のために設計されています。

良いジャケットほど、人に合わせている

既製服は平均的な体型を基準に設計されますが、ビスポークや高品質なMTMでは、Front BalanceやSide Balanceを調整し、その人の姿勢や体型に合わせて型紙を修正します。

その結果、前裾は着用時に自然な水平感を保ち、横から見たシルエットも美しく整います。

前裾を水平にすること自体が目的ではありません。着たときに自然で美しく見えることこそが、本当の目的なのです。

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